中学時代は部活で忙しかったが
合間を見つけてはとにかく本を読んだ。
本さえ読んでいれば「勉強しろ」と言われなくて済むという
多少の計算も働いてはいたのだが(笑)
小学校時代からの習慣がそのまま残っていたから。
しかも大人の本との出会いが大きかった。
最初は親父の蔵書であるこれ。

全て旧仮名遣いだったが、その読み方はすぐに慣れた。
(のちにそれが古文で活きた)
(のちにそれが古文で活きた)
夢中になって全巻読破してしまった。
自分んで買った文庫本で最初にハマったのはアルフォンス・ドーデ。
しかも初めて手に取ったのが、
代表作の「風車小屋便り」や「月曜物語」ではなく
これだったところが今になって笑える。

でもまぁ、ここから始まってドーデに凝ったから

取っ掛かりとしては良かったのかな?
教科書にも「最後の授業」が載っていたし
ルパンシリーズでアルザス、ロレーヌの地名も馴染みがあったから
一時期は大学で仏文を専攻し、ドーデを学ぼうと思ったほど。
中学卒業間近になってから夢中になったのはヘルマン・ヘッセ。
推薦図書になっていた「車輪の下」はイマイチだったが
(でもそれはたぶん内容よりも、点数稼ぎに思われたくなかったから)
「望郷(ピーター・カーメンチント)が良かった。

高校受験が終わったあと、春の日差しが降り注ぐ窓辺で
ゆっくりページをめくっていくと
故郷に帰ったあとのピーターの心がわかる気がした。
それ以来この本は、独身のころ毎年春に読み返したものだ。
自分にとっては3月に読む本。
高校に入ると哲学絡みの本が多くなった。
中でもアルベール・カミュが一番のお気に入りだった。

最初に読んだ「幸福な死」がたぶん良かったのだろう。
このカバーを見ただけで心が躍ったものだ。
そして若い頃の自分のバイブルとなった
「シーシュポスの神話」に出会う。

今でも、かつて使った書棚に並んでるこの本は
パラパラと適当なページを開いても
そこに自分の考えの指針になる文章が載っていた。
そんな珠玉のような言葉たちを追い求めて
当時の私は仏文ではなく国文を専攻したのかもしれない。